こんの優眼科クリニックは『患者さんに優しい眼科クリニック』をめざし、常に『患者さんが自分だったら、自分の親だったら、自分の子供だったら』と考え、診察させていただきます。
患者さんに優しい眼科クリニックになるために、
1. スタッフ全員が笑顔で患者さんに対応します。
2. 明るく、元気に患者さんに挨拶します。
3. 待ち時間が短くなるように工夫します。
開院当時、北海道の眼科で初めての電子カルテの導入により、診察後の待ち時間の解消を図ります。電話(0166-25-8341)での予約をお受けします。メールでの予約もお受けします。
4. 診療時間を工夫します。
平日は毎日、診療します。平日は夜7時まで診察します。午前診療は午後1時まで行い仕事をお持ちの方の昼休みに対応します。土曜日も午後3時まで診療し、平日に休めない患者さんに対応します。
5. 開かれた眼科診療を行います。
すべての診療行為は患者さんに説明し、同意を得てから行います。白内障手術患者さんのご家族の希望があれば、立会っていただきます。手術立会い室を用意しました。カルテ開示、レセプト開示の希望に応じます。明細の入った領収書を発行します。セカンド・オピニオンを希望する患者さんは、すぐに紹介します。目の状態(角結膜・網膜)の画像をお見せし、病状を説明します。
6. 目に優しい白内障手術を行います。
折りたたみ式の眼内レンズを用い、小切開無縫合手術を行います。白内障手術は日帰り手術を行います。
7. 患者さんのプライバシーを守ります。
診察室は個室です。視力検査は、周囲の人に視力のわからないような器械を用います。
8. バリアフリーの建築です。
院内へは、土足のままでお入り下さい。車椅子対応のトイレです。
9. 院内感染対策として、手洗いは自動給水、ジェットタオルです。
10. コンタクトレンズも目に優しい素材、高品質のレンズをリーズナブルな価格で提案します。
メニコン・メルスプランを導入します。信頼できるメーカーのレンズを取り扱います。
こんの優眼科クリニックは、『こんな優しい眼科クリニックがあったらいいな』と思う眼科クリニックを実現させるために、スタッフ一同、力を合わせて、がんばります。
早く治すために大事なこと
眼のことに関わらず、何か症状や病気があると、気分は沈むし、日常生活やお仕事の上で、何かと不自由があったりと大変ですよね。
やはり、一日でも早く治すことができたら一番良いですよね。
私も、眼科医として適切な診断と処置、手術や投薬などで皆さんが一日でも早く不自由な状態から抜け出せるよう、常に最大限の診療を心掛けています。
ですが、症状や病気というものは、私たち医師と、患者の皆さんとで、一緒に治していくものです。
皆さんの「治そう」という気持ちが弱いときと、強いときとでは、症状の良くなり方が違うものなのです。
日常生活の上で、どうしてもできない場合などは仕方ありませんが、できるだけ、薬の使い方を守ったり、次回通院するタイミングなど「医師がお願いしたこと」はできる限り、守っていただけると症状も、早く良くなると思います。
また、説明がよくわからなかった場合や疑問などは、遠慮なく医師におっしゃってくださいね。
私たち医師は誰もが、患者さんが困っていることを、一刻も早く取り除いて、楽にしてあげたいと日々頑張っています。
皆さんも、早く治すために一緒に頑張りましょうね!
院長経歴
昭和45年4月 帯広市立柏小学校入学
昭和51年3月 陸別町立陸別小学校卒業
昭和51年4月 陸別町立陸別中学校入学
昭和54年3月 帯広市立帯広第六中学校卒業
昭和54年4月 北海道帯広柏葉高等学校入学
昭和57年3月 北海道帯広柏葉高等学校卒業
昭和57年4月 旭川医科大学医学部医学科入学
昭和63年3月 旭川医科大学医学部医学科卒業
平成元年 6月 旭川医科大学病院眼科医員(研修医)
平成3年 4月 名寄市立総合病院眼科医長
平成4年 4月 市立釧路総合病院眼科医長
平成5年 4月 旭川医科大学病院眼科医員
平成5年10月 旭川医科大学医学部眼科学講座助手
平成5年12月 ハーバード大学医学部眼科スケペンス眼研究所留学
平成7年11月 ハーバード大学医学部眼科スケペンス眼研究所から帰国
平成9年 1月 市立根室病院眼科医長
平成9年 4月 旭川医科大学病院医員
平成11年8月 旭川医科大学医学部眼科学講座助手
平成13年4月 市立士別総合病院眼科医長
平成15年7月 こんの優眼科クリニック院長
趣味
プロ野球テレビ観戦(特に阪神タイガース)、ものまね番組鑑賞、読書、映画鑑賞、音楽鑑賞
ここでは、私の専門分野についてお話させていただきます。
経歴に示しましたように、平成元年旭川医科大学眼科医局に入局し、2年間は、研修医として、眼科の基本の眼光学、眼科検査から始まり、診断・治療まで眼科診療に関する教育を受けながら、外来では問診、視力検査から診察までさせていただき、病棟では患者さんの主治医グループの中の一人として、点滴から手術の助手、そして執刀へと徐々に責任の重い仕事にたずさわらせていただきました。
平成3年度は名寄市立総合病院、平成4年度は市立釧路総合病院の眼科医長として、外来・病棟業務を任されていました。どちらの病院でも、週に2回の手術日があり、主に白内障手術、翼状片手術、眼瞼手術などを行っていました。
平成4年度に白内障手術の、眼内レンズ挿入術が健康保険適応になったこともあり、手術数も増え、また視力回復によって、患者さんに大変喜んでいただけますので、白内障を自分の専門分野にしたいと思うようになりました。しかしその一方で糖尿病網膜症で見えにくくて困っている方や、網膜剥離の手術で、視力を保つことができた方もいらっしゃり、眼底疾患への興味も同時に持っていました。
平成5年度に旭川医大に戻りましたが、秋にアメリカに留学させていただきました。留学先は、ボストンのハーバード大学医学部のスケペンス眼研究所です。旭川医大眼科教授吉田晃敏先生からはじまり、田川先生、赤沢先生、小笠原先生、藤尾先生と継続して日本人留学生が研究に行っていたポストでした。
研究室のボスは、ギルバート・フィック博士で、眼底の血流を測定することができるレーザードプラー装置を開発した先生です。その研究室で2年間の研究生活を送りました。研究対象は、糖尿病患者さんの網膜血管の血流、緑内障患者さんの視神経乳頭の血流、点眼薬の視神経乳頭循環に与える影響などでした。
眼研究所の名前にもなっているチャールズ・スケペンス教授は、現代の網膜剥離手術を完成に導いた偉大な先生ですが、眼科病院も設立していました。スケペンス・レチナ・アソシエーツという名前でスケペンス網膜専門病院という感じです。その病院のウオーレス・マックミール先生の外来に毎週月曜日に出て患者さんの診察をさせていただきました。世界中から、というと大げさですが色んな国から診察を受けに患者さんがいらっしゃっていました。網膜専門病院ですから、毎週月曜日は、網膜の病気の勉強をする一日でした。また予約制で一人に30分以上かけられますので、ゆっくり診察し、話をするという外来で、それまでの日本での自分のあわただしい外来とは趣が異なるものでした。
また、緑内障患者さんの視神経乳頭血流の研究の中で、緑内障の大家であるタフツ大学のバーナード・シュワルツ教授、マサチューセッツ眼科耳鼻科病院のピーター・ネットランド先生とも一緒に仕事をさせていただきました。
2年間の留学研究生活の成果として、「糖尿病患者における網膜血流変化:長期追跡研究」という論文を発表することができ、この論文で旭川医科大学の学位記(医学博士)をいただくことができました。
大学に戻ってからは、網膜形態画像解析の担当にもなり、網膜の特に視力に重要な黄斑部に異常を起こす疾患を担当させていただきました。また専門外来は糖尿病網膜症外来、斜視弱視外来も担当しました。
平成13年度から市立士別総合病院に一人医長として、2年3カ月勤務しました。白内障の手術を中心として、眼瞼手術も多数例執刀しました。外来では、涙目に対する涙道チューブ留置術、ドライアイに対する涙点プラグも積極的に行いました。通院患者さんが非常に多かったので、緑内障の患者さんも多く、通院検査の必要性、視野の 定期的検査の重要性についてのお話をしました。コンタクトレンズ装用されている方のなかに、使用方法の問題から角膜に障害を起こす方も見られましたので、アンケート調査をし、正しいコンタクトレンズの使用についての指導にも力を入れていました。
以上のような15年の眼科医生活から自分の得意分野として、
1. 白内障手術
2. 眼瞼手術(下眼瞼内反症、上眼瞼内反症など)
3. 糖尿病網膜症治療(レーザー治療)
4. 緑内障診断、治療
5. コンタクトレンズ診療
6. 流涙症治療(涙道チューブ留置術)ドライアイ治療(涙点プラグ)
7. 眼感染症治療
8. 網膜硝子体疾患
9. 小児眼科(斜視・弱視も)
が、挙げられます。
当院は、眼科医が一人のクリニックですので、診療には限界がありま す。例えば、糖尿病網膜症がレーザー治療で治まらず、硝子体手術が必要と感じられる場合には、手術可能な施設に紹介させていただきます。 患者さんにとって最良と考えられる方法について、一緒にご相談させていただきたいと思います。
発表論文からみた専門分野
ここでは、私の専門分野について、発表論文を掲示します。
1. 和文論文
1999年秋に若手眼科医の育成と眼感染症分野の活性化を図るべく、眼感染症懇談会(COI)が設立されました。私はその設立には全く関与していませんが、このお話は COI の発行した冊子の中の1コーナーの話です。
2000年1月に発行された第1号に「眼感染症道場のお触書」が掲載されました。道場の心得として、
一. ここは、眼感染症を志し、また極めし者のための道場である。
一. 門を叩くいずれの者にも有段者の道は拓かれている。
一. 見学には応じぬ。ひとたび足を踏み入れしは、必ず手合わせをしていただく。
一. 有段の決定はひとえにこれ道場長の裁量による。
一. 不明な点については道場長が書状または電子書簡にて直伝する所存である。
一. 道場破りを目的とした輩との手合わせも熱烈歓迎いたす。
と記されていました。その後に、「細菌感染症の常識・非常識」という問題が20問出題されていました。これは面白いと思った私は、若手眼科医というには歳をとっておりましたが、力試しに回答を送りました。
すると、2000年7月に発行された第2号に、三段としてトップに掲載されました。
すっかり、この三段の栄誉に気を良くした私は、第2号の「ウイルス専科の巻」の問題20問に取り組みました。2001年1月の第3号でも、連続して三段としてトップに掲載されました。となりますと、三段を維持しなくてはと気合いも入り、「薬剤耐性」の問題に取りかかりました。第4号が発刊されたのが、2001年5月でした。私は、4月に旭川医大から北へ約50キロの市立士別総合病院に転勤した後でした。そこでも、なんとか最高段位の三段を維持することが出来ました。第4号の問題は「角膜炎」でした。しかしながら、2001年6月の第5号の発表で、残念ながら、二段に降格してしまったのでした。そして第5号の問題「結膜炎」が出題されており、それが最後の手合わせであるとのこと、次回の最終号で、今回までの手合わせで滅法活躍した強者を発表するとのことでした。その結果は、2001年10月発刊の第6号で発表されました。最終号でまた再び、三段に返り咲くことができ、道場の師範代として栄誉ある免許皆伝を授けられたのでした。
これが、私の眼感染症道場~達人への道~のお話です。
めでたし、めでたし。
で、終わるはずだったのですが、2002年7月に「眼感染症道場ふたたび」が突如発刊され、発汗しました。そこには、新作チャレンジ問題として、昔懐かし医師国家試験のような5択問題が28問出題されていました。達人の称号をもらったからには、無様な格好は見せられまいと、夏休み返上で(?)回答しました。しかし、その結果はなかなか発表されず、時は流れ、2003年になり、開業準備にも忙しくなってきました。
眼感染症道場のことも忘れかけていましたら、5月にCOI 発行元のエクセプタ・メディカから手紙が来ました。ナントその手紙は、全問正解だったので、コメントを掲載してくれるという内容でした。そして、2003年7月開業の月に、「眼感染症道場ふたたび、模範解答・指南」が発刊されました。道場長の東京医大 薄井紀夫先生から、冒頭の戦評に有難いお言葉も頂きました。
「我が眼感染症道場が誇る師範達とのお手合わせ、誠にご苦労であった。いやはや腕自慢の衆のこぞっての参加と凄まじい戦いぶりにはただただ感心しきりであった。なかでもぶったまげたのは、眼感染症道場開場以来初めて見事に全問正解を成し遂げた御仁がおられたことじゃ。その名は今野優先生。今野先生はこれまでの道場でも決まってトップの成績を維持し続け、既に唯一無二の称号である「達人」の名を手に入れておられる道場史上燦然と輝く大人物で、今回、遂に満を持しての全問正解と相成った。その功績はまさしく賞賛に値すると同時に、我が道場の誇りそのものである。さらに全問正解こそ逃しながらも正解率93%で相変わらずの「鉄人」ぶりを発揮した小林円先生、次いで正解率90%でこれまでにも「名人」としてその名を広く知られている久布白公子先生にも大きな拍手を送らせて頂く。今野、小林、久布白の御三家、お主らはとてつもなく凄い!恐ろしく偉い!しかし一体何者なのじゃ?何故ゆえ感染症に対しこれほどまでに造詣が深いのじゃ?(道場長として威厳を保ちたいところじゃが、いずれ秘伝の術を内緒でお教え願いたい)我々だけでなく微生物からも一目置かれる貴殿らの存在はまさに驚異としか言いようがないが、もちろん彼らだけでなく、その他にも沢山の衆にお手合わせ頂き、その一人ひとりに心より感謝申し上げたい。この道場で大切なのは、とにかく何をおいてもまず飛び込んでみることじゃ。その前向きの姿勢こそが感染症に向き合い、微生物の知己や驚異や弱点を知り、微生物との共存について考えていく姿に他ならぬ。そしてその姿は EYE を護る COI の達人そのもののシルエットなのじゃ。さあ、皆の衆、今一度感染症に眼を向け、それを大いに学び、自らの糧とし、共に手を取り翳る瞳を救おうではないか。」
薄井先生、お褒めのお言葉、誠に有難うございます。いつも、面白い文章で尊敬します。
これが、私の眼感染症道場~達人への道~のお話です。
めでたし、めでたし。
「眼感染症道場またふたたび」が出たら、、、、、、、、
2003年7月26日記
と思っていましたら、2003年10月何気ない風に、COI 第7号が発刊されました。そして、何気に眼感染症道場も掲載されているではありませんか。道場長の薄井先生のご挨拶も「COI ジャーナルの復活に伴い、ついに眼感染症道場もここにめでたく再開講と相成った。」と記されております。そして新作問題は、ヘルペス・真菌・前眼部の20問です。昨日(10月15日)COI を受取りましたので、早速回答し、郵送しました。どうやら、しばらくはCOI の発行が続きそうですので、このコラムのコーナーもリアルタイムに更新していこうと思います。そのうち、COI のメンバーの先生方がこのコラムの存在に気がついて、ネタにして下さる日を楽しみに。達人の地位を保てるか、乞ご期待。
2003年10月16日記
お久しぶりに、2004年9月3日 COI第8号を受取りました。前回の投稿から、しばらく経過していたのですが、その間に模範回答集が送られて来ていて、既に数問間違えていることが判明していましたので、今回は道場破りではなく、破れかぶれの気分になっていました…そして、結果が発表されていましたが、いかに…
やはり、今回は二段に降格しておりました、残念っ。
三段に二名、二段に四名、初段に十六名の氏名が発表されていました。その中の三段、二段の六名には、道場長の薄井先生からの有難いコメントが付いていました。そのコメントは「さすが初代道場破り!北国の心優しい感染症の達人健在。」というものでした。誠に有難うございます。
是非次回は三段に返り咲けるよう気合を入れて回答させていただきます。
2004年9月3日記
こうしてみますと、かなりのお久しぶりの更新になりました。前回の第8号から2年半。思えば遠くに来たもんだ…って感じです。どんな感じか良く分りませんが…。2007年2月19日COI第9号を受取りました。恒例の「第8号手合わせの結果」が発表されていましたが、いかに…
今回は何とか三段に返り咲いておりました。今回、道場破りをした方がいらっしゃいました。素晴らしい。
また何とかトップの地位に返り咲きできますように、気合を入れて回答させていただきます。でも、今回も難しそう…
2007年2月19日記
時の経つのは早いもので…前回の眼感染症道場から1年半近くが過ぎていました。2008年7月1日COI第10号を受け取りました。恒例の「第9号手合わせの結果」が発表されていました。三段を守ることはできましたが、四段には3名の先生がいらっしゃって、残念ながらトップの地位に返り咲くことは、叶いませんでした。今回からは、回答を葉書で送るというシステムがなくなってしまい、ここ数年来のお楽しみだったこの道場での稽古もおしまいになってしまいました。うーん、残念。
2008年7月1日記
こんの優眼科クリニックは
『患者さんに優しい眼科クリニック』をめざし、
常に『患者さんが自分だったら、自分の親だったら、自分の子供だったら』と考え、
診察させていただきます。
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