専門分野

ここでは、私の専門分野についてお話させていただきます。

経歴に示しましたように、平成元年旭川医科大学眼科医局に入局し、2年間は、研修医として、眼科の基本の眼光学、眼科検査から始まり、診断・治療まで眼科診療に関する教育を受けながら、外来では問診、視力検査から診察までさせていただき、病棟では患者さんの主治医グループの中の一人として、点滴から手術の助手、そして執刀へと徐々に責任の重い仕事にたずさわらせていただきました。

平成3年度は名寄市立総合病院、平成4年度は市立釧路総合病院の眼科医長として、外来・病棟業務を任されていました。どちらの病院でも、週に2回の手術日があり、主に白内障手術、翼状片手術、眼瞼手術などを行っていました。

平成4年度に白内障手術の、眼内レンズ挿入術が健康保険適応になったこともあり、手術数も増え、また視力回復によって、患者さんに大変喜んでいただけますので、白内障を自分の専門分野にしたいと思うようになりました。しかしその一方で糖尿病網膜症で見えにくくて困っている方や、網膜剥離の手術で、視力を保つことができた方もいらっしゃり、眼底疾患への興味も同時に持っていました。

平成5年度に旭川医大に戻りましたが、秋にアメリカに留学させていただきました。留学先は、ボストンのハーバード大学医学部のスケペンス眼研究所です。旭川医大眼科教授吉田晃敏先生からはじまり、田川先生、赤沢先生、小笠原先生、藤尾先生と継続して日本人留学生が研究に行っていたポストでした。

研究室のボスは、ギルバート・フィック博士で、眼底の血流を測定することができるレーザードプラー装置を開発した先生です。その研究室で2年間の研究生活を送りました。研究対象は、糖尿病患者さんの網膜血管の血流、緑内障患者さんの視神経乳頭の血流、点眼薬の視神経乳頭循環に与える影響などでした。

眼研究所の名前にもなっているチャールズ・スケペンス教授は、現代の網膜剥離手術を完成に導いた偉大な先生ですが、眼科病院も設立していました。スケペンス・レチナ・アソシエーツという名前でスケペンス網膜専門病院という感じです。その病院のウオーレス・マックミール先生の外来に毎週月曜日に出て患者さんの診察をさせていただきました。世界中から、というと大げさですが色んな国から診察を受けに患者さんがいらっしゃっていました。網膜専門病院ですから、毎週月曜日は、網膜の病気の勉強をする一日でした。また予約制で一人に30分以上かけられますので、ゆっくり診察し、話をするという外来で、それまでの日本での自分のあわただしい外来とは趣が異なるものでした。

また、緑内障患者さんの視神経乳頭血流の研究の中で、緑内障の大家であるタフツ大学のバーナード・シュワルツ教授、マサチューセッツ眼科耳鼻科病院のピーター・ネットランド先生とも一緒に仕事をさせていただきました。

2年間の留学研究生活の成果として、「糖尿病患者における網膜血流変化:長期追跡研究」という論文を発表することができ、この論文で旭川医科大学の学位記(医学博士)をいただくことができました。

大学に戻ってからは、網膜形態画像解析の担当にもなり、網膜の特に視力に重要な黄斑部に異常を起こす疾患を担当させていただきました。また専門外来は糖尿病網膜症外来、斜視弱視外来も担当しました。

平成13年度から市立士別総合病院に一人医長として、2年3カ月勤務しました。白内障の手術を中心として、眼瞼手術も多数例執刀しました。外来では、涙目に対する涙道チューブ留置術、ドライアイに対する涙点プラグも積極的に行いました。通院患者さんが非常に多かったので、緑内障の患者さんも多く、通院検査の必要性、視野の 定期的検査の重要性についてのお話をしました。コンタクトレンズ装用されている方のなかに、使用方法の問題から角膜に障害を起こす方も見られましたので、アンケート調査をし、正しいコンタクトレンズの使用についての指導にも力を入れていました。

以上のような15年の眼科医生活から自分の得意分野として、

1. 白内障手術
2. 眼瞼手術(下眼瞼内反症、上眼瞼内反症など)
3. 糖尿病網膜症治療(レーザー治療)
4. 緑内障診断、治療
5. コンタクトレンズ診療
6. 流涙症治療(涙道チューブ留置術)ドライアイ治療(涙点プラグ)
7. 眼感染症治療
8. 網膜硝子体疾患
9. 小児眼科(斜視・弱視も)
が、挙げられます。

当院は、眼科医が一人のクリニックですので、診療には限界がありま す。例えば、糖尿病網膜症がレーザー治療で治まらず、硝子体手術が必要と感じられる場合には、手術可能な施設に紹介させていただきます。 患者さんにとって最良と考えられる方法について、一緒にご相談させていただきたいと思います。