眼感染症道場〜達人への道〜

1999年秋に若手眼科医の育成と眼感染症分野の活性化を図るべく、眼感染症懇談会(COI)が設立されました。私はその設立には全く関与していませんが、このお話は COI の発行した冊子の中の1コーナーの話です。

 

20001月に発行された第1号に「眼感染症道場のお触書」が掲載されました。道場の心得として、

. ここは、眼感染症を志し、また極めし者のための道場である。

. 門を叩くいずれの者にも有段者の道は拓かれている。

. 見学には応じぬ。ひとたび足を踏み入れしは、必ず手合わせをしていただく。

. 有段の決定はひとえにこれ道場長の裁量による。

. 不明な点については道場長が書状または電子書簡にて直伝する所存である。

. 道場破りを目的とした輩との手合わせも熱烈歓迎いたす。

と記されていました。その後に、「細菌感染症の常識・非常識」という問題が20問出題されていました。これは面白いと思った私は、若手眼科医というには歳をとっておりましたが、力試しに回答を送りました。

 

すると、2000年7月に発行された第2号に、三段としてトップに掲載されました。

すっかり、この三段の栄誉に気を良くした私は、第2号の「ウイルス専科の巻」の問題20問に取り組みました。2001年1月の第3号でも、連続して三段としてトップに掲載されました。となりますと、三段を維持しなくてはと気合いも入り、「薬剤耐性」の問題に取りかかりました。第4号が発刊されたのが、2001年5月でした。私は、4月に旭川医大から北へ約50キロの市立士別総合病院に転勤した後でした。そこでも、なんとか最高段位の三段を維持することが出来ました。第4号の問題は「角膜炎」でした。しかしながら、2001年6月の第5号の発表で、残念ながら、二段に降格してしまったのでした。そして第5号の問題「結膜炎」が出題されており、それが最後の手合わせであるとのこと、次回の最終号で、今回までの手合わせで滅法活躍した強者を発表するとのことでした。その結果は、200110月発刊の第6号で発表されました。最終号でまた再び、三段に返り咲くことができ、道場の師範代として栄誉ある免許皆伝を授けられたのでした。

これが、私の眼感染症道場~達人への道~のお話です。

めでたし、めでたし。


で、終わるはずだったのですが、2002年7月に「眼感染症道場ふたたび」が突如発刊され、発汗しました。そこには、新作チャレンジ問題として、昔懐かし医師国家試験のような5択問題が28問出題されていました。達人の称号をもらったからには、無様な格好は見せられまいと、夏休み返上で(?)回答しました。しかし、その結果はなかなか発表されず、時は流れ、2003年になり、開業準備にも忙しくなってきました。

 

眼感染症道場のことも忘れかけていましたら、5月にCOI 発行元のエクセプタ・メディカから手紙が来ました。ナントその手紙は、全問正解だったので、コメントを掲載してくれるという内容でした。そして、2003年7月開業の月に、「眼感染症道場ふたたび、模範解答・指南」が発刊されました。道場長の東京医大 薄井紀夫先生から、冒頭の戦評に有難いお言葉も頂きました。

 

「我が眼感染症道場が誇る師範達とのお手合わせ、誠にご苦労であった。いやはや腕自慢の衆のこぞっての参加と凄まじい戦いぶりにはただただ感心しきりであった。なかでもぶったまげたのは、眼感染症道場開場以来初めて見事に全問正解を成し遂げた御仁がおられたことじゃ。その名は今野優先生。今野先生はこれまでの道場でも決まってトップの成績を維持し続け、既に唯一無二の称号である「達人」の名を手に入れておられる道場史上燦然と輝く大人物で、今回、遂に満を持しての全問正解と相成った。その功績はまさしく賞賛に値すると同時に、我が道場の誇りそのものである。さらに全問正解こそ逃しながらも正解率93%で相変わらずの「鉄人」ぶりを発揮した小林円先生、次いで正解率90%でこれまでにも「名人」としてその名を広く知られている久布白公子先生にも大きな拍手を送らせて頂く。今野、小林、久布白の御三家、お主らはとてつもなく凄い!恐ろしく偉い!しかし一体何者なのじゃ?何故ゆえ感染症に対しこれほどまでに造詣が深いのじゃ?(道場長として威厳を保ちたいところじゃが、いずれ秘伝の術を内緒でお教え願いたい)我々だけでなく微生物からも一目置かれる貴殿らの存在はまさに驚異としか言いようがないが、もちろん彼らだけでなく、その他にも沢山の衆にお手合わせ頂き、その一人ひとりに心より感謝申し上げたい。この道場で大切なのは、とにかく何をおいてもまず飛び込んでみることじゃ。その前向きの姿勢こそが感染症に向き合い、微生物の知己や驚異や弱点を知り、微生物との共存について考えていく姿に他ならぬ。そしてその姿は EYE を護る COI の達人そのもののシルエットなのじゃ。さあ、皆の衆、今一度感染症に眼を向け、それを大いに学び、自らの糧とし、共に手を取り翳る瞳を救おうではないか。」

 

薄井先生、お褒めのお言葉、誠に有難うございます。いつも、面白い文章で尊敬します。

これが、私の眼感染症道場~達人への道~のお話です。

 

めでたし、めでたし。

 

「眼感染症道場またふたたび」が出たら、、、、、、、、

 

2003726日記


と思っていましたら、200310月何気ない風に、COI 第7号が発刊されました。そして、何気に眼感染症道場も掲載されているではありませんか。道場長の薄井先生のご挨拶も「COI ジャーナルの復活に伴い、ついに眼感染症道場もここにめでたく再開講と相成った。」と記されております。そして新作問題は、ヘルペス・真菌・前眼部の20問です。昨日(1015日)COI を受取りましたので、早速回答し、郵送しました。どうやら、しばらくはCOI の発行が続きそうですので、このコラムのコーナーもリアルタイムに更新していこうと思います。そのうち、COI のメンバーの先生方がこのコラムの存在に気がついて、ネタにして下さる日を楽しみに。達人の地位を保てるか、乞ご期待。            

 

20031016日記


お久しぶりに、20049月3日 COI第8号を受取りました。前回の投稿から、しばらく経過していたのですが、その間に模範回答集が送られて来ていて、既に数問間違えていることが判明していましたので、今回は道場破りではなく、破れかぶれの気分になっていましたそして、結果が発表されていましたが、いかに

やはり、今回は二段に降格しておりました、残念っ。

三段に二名、二段に四名、初段に十六名の氏名が発表されていました。その中の三段、二段の六名には、道場長の薄井先生からの有難いコメントが付いていました。そのコメントは「さすが初代道場破り!北国の心優しい感染症の達人健在。」というものでした。誠に有難うございます。

是非次回は三段に返り咲けるよう気合を入れて回答させていただきます。

 

2004年9月3日記


こうしてみますと、かなりのお久しぶりの更新になりました。前回の第8号から2年半。思えば遠くに来たもんだって感じです。どんな感じか良く分りませんが2007219COI9号を受取りました。恒例の「第8号手合わせの結果」が発表されていましたが、いかに

今回は何とか三段に返り咲いておりました。今回、道場破りをした方がいらっしゃいました。素晴らしい。

また何とかトップの地位に返り咲きできますように、気合を入れて回答させていただきます。でも、今回も難しそう

 

2007219日記


時の経つのは早いもので前回の眼感染症道場から1年半近くが過ぎていました。200871COI10号を受け取りました。恒例の「第9号手合わせの結果」が発表されていました。三段を守ることはできましたが、四段には3名の先生がいらっしゃって、残念ながらトップの地位に返り咲くことは、叶いませんでした。今回からは、回答を葉書で送るというシステムがなくなってしまい、ここ数年来のお楽しみだったこの道場での稽古もおしまいになってしまいました。うーん、残念。

 

200871日記